―主夫ログのはじまり―その3

 

 

 

○はじめに(後編)

 

◎前回までのあらすじ

様々な介護事業所で学びながら各地を転々とする30代のおっさん。子供が生まれたことを転機として、今後は性懲りもなく神戸へと流れていくのでした。

 

さて、次なるテリトリーは神戸市北区。ほとんど隣の三田市(さんだし)との境にあるアパートで、一人黙々と荷解きを行う男。早々に貴重な休日をつぶしてお義父さんが援助に駆けつけて下さったのは本当に有り難かったです(^ ^)そして片付けきらぬ間に、いよいよ嫁と娘との初の共同生活が幕を開けました。

 

この時2014年12月。真冬の北区はビックリする程寒く、真冬はスタッドレスと水道凍結への対策は必須。そんな中、何もかもが初めての環境で、初めての子育てに悪戦苦闘。…と思っていたんですが、よくよく考えれば今ままで仕事でやってきた事とそれほど変わらず。今の状態に合わせて食事形態を調整し、リズムやサインから排泄を確認処理し、お風呂に入れて寝かしつける。夜に覚醒すれば眠れる状態に整え、朝になれば起床の準備をする。…正直ゴリゴリの介護施設で寝泊まりし続けてきた耐性のお陰か。非常に角の立つ表現にはなりますが、あえて言おう。「ジジババよりはるかに楽である」と。

 

まず何よりもコンパクト。すべてにおいて手中に収まるんじゃないかと思えるミニマムな所作。あの腰を痛め、汗を垂れ流し、全力で抵抗や暴言を受けながらも必死に世話をしていた重労働の日々…(T▽T)否が応にもそれと比較し、思いのほか子育てに拒否反応を感じられなかったことが自分の中でかなり意外で驚いたのを覚えています。

 

そして、もしかすると共感して頂ける方もいらっしゃるかもしれませんが。あの最初にわが子を目にした時の複雑な感情。嬉しいけれど、目の前の我が子に対し「愛しさ」を実感できない事への戸惑いが、オシメを換える度に、こっちを見て何かを呟く度に、夜泣きでミルクを飲ませて膝の上で寝かしつける度に、にじみ出るように愛情が湧き上がるのを実感することが本当に嬉しかった。「子どもを育てながら、親も子どもに育ててもらっている」との言い伝えは本当だったと実感した次第です。自分でも本当に不思議だったのですが、この夜泣きの期間新たな能力に目覚めたことも思わぬ収穫でした。一つ目は「寝ていても子どものいる場所が常に分かる能力」。夜泣きの時に真っ先に目覚めて対応していたのですが、いつの頃からか夜中に目覚めると私の布団の中に潜り込んでくるようになっていた娘。その際、寝かしつけて寝落ちする時も、途中から入り込んできた時にも、寝ながらにして子どものいる場所だけは感覚で分かるようになり、間違っても寝返りで子どもを潰す、なんて事は絶対にありませんでした。…まぁそれだけ眠りが浅くなっていたのでしょうね(^^;)二つ目は「睡眠中子どもが寄ってくるとオートで布団を開けて寝かしつける能力」です。…これって能力なのか?まぁいっか。正確に言えば、このせいで娘でなくても布団の中に誘い込む癖がついてしまったようで嫁に怒られた事がありました。

 

そんなこんなで子育てに奮闘しつつ、神戸で選んだ職場はリハビリ専門のデイサービスでした。これもいつか一つのカテゴリーで記事にできればと思いますが、このデイサービスでの経験が自分の在宅での生活を支えるに必要な知識やスキル、そして介護観そのものをさらに昇華させてくれました。人が少しでも長く在宅生活を自分らしく生きていくためには?サービスを使う事だけではなく、リハビリに通うだけではなく、人が自ら動く活力を取り戻すためには?多くのことを学ばせて頂きました。ちなみにこの時入社半年で一事業所の所長を任せてもらえ、さらにその半年後には関西の三事業所を統括するエリアマネージャーに押し上げられることになりました。実は経営の細かな数字まで管理したのはこれが初めて。正直吐き気を感じる程疲れがたまっていた時もありましたが、事業を行う中で目標の達成を繰り返しながら成長させていくマネジメント力をこの時身に着ける事が出来ました。今思えば自身に欠けた能力を補完する試練だったのかも知れません。

 

そしてようやく最後の転居の時がやってきました。私の母はこの時から遡ること5、6年前に脳内出血を起こしてしまい車いすの半介護状態になっていました。それを実家に同居していた兄と妹が見てくれていたのですが、事情によりそれが困難になっていたため、兄弟で唯一各地を転々と好きにさせてもらっていた私が帰って世話をすることになったのです。妻には何とか承諾してもらい、およそ18年ぶりに郷に戻り居を構えることとなり現在に至ります。

 

転居にあたり一つ交換条件のような形で妻が提案したのが、「家庭内での役割を交代すること」。妻は正看でバリバリ経験を重ねていたこともあり、実際のところ私が一から職を探すよりも安定した所得を得ることが出来、親の介護の傍らということであるならば、私が家の事を主にやった方が何かと円滑に事が運ぶだろうとの判断。はい、まさにその通りになりました(^_^;)

 

大変長くなり恐縮ですが、このような経緯をもちまして、主夫しーま誕生した次第なのです。今では娘もようやく少しずつ自分の事を自分でやってくれることが増え、少しずつ時間にゆとりが出来てきたため、以前からやってみたいと思っていたブログに挑戦する事に致しました。このようなとりとめのない記事にはなりますが、少しずつ子育てや介護、その他生活に役立つ情報を発信していくつもりなので、ぜひお楽しみいただけると幸いです!どうぞ宜しくお願い致します!!