―主夫ログのはじまり―その1

○はじめに

 

はじめまして。私の記事に興味を持っていただいた皆様に、まずはご挨拶と感謝を申し上げます。私のブログは自称「主夫ログ」と題して、主夫の立場から見た生活全般に係るお役立ち情報や健康に関する記事を書いたり、今までの福祉に関わる長い経験と知識をお伝えしていく事で、家庭のお悩みや負担を少しでも軽くし、楽しめる何かを一緒に見つけていく材料になればと思っております。では早速ですが、今回は自己紹介を中心に書かせて頂きます。

 ニックネーム  シーマ

年齢        38歳(♂)

出身        福岡県

バイリンガル      博多弁と関西弁のハイブリット

 

職業歴        16年間幅広く福祉の業務に携わる→現在は兼業主夫。こまかな経験は関連した記事を書きながらお話ししたいと思います!

 

得意料理      煮込み料理 パスタ 鶏ハム(いつかレシピ記事を書きたいです)

 

生い立ち      以下、まずは私という人物を知っていただければと思いますので、長文になるかもですがこれまでの人生歴等を思い出しながら書いてみます。良ければお付き合いください!

                           

                          生まれは福岡県。何も考えずに幼少期を過ごしたためなのか、こまかな思い出はあまり記憶に残っておらず(笑)とにかく小さな頃からじぃちゃん子だった事はしっかり覚えています。そのじいちゃんが脳梗塞で倒れて以降、いつの間にか流れでトイレの手伝い等を普通にするようになっていました。中学生の時にじぃちゃんは亡くなりましたが、その時には「自分は大人になったらこういう仕事に就くんだ」と思うようになっていました。

         

                          その思いは変わらず、高校を卒業した私は岡山県備中高梁の山中にある吉備国際大学に進学(世間をにぎわせていたあの加計学園系列ですねぇ)。努力の甲斐もあって、第二志望の保健福祉学科(今はもうありません)に入り、そこで現在の付き合いへと続く貴重な学友と多く出会いました。この期間いかにも学生、という感じのバカな事をやらかしまくったのは良い思い出です。特に住んでいた部屋が居室以外全て共同な上エアコンすら廊下に一つしかないというベッタベタの昭和の学生アパートだったのはある意味最高の環境でした(笑)空調がないものだから一年の半分以上は各部屋のドアが開きっぱなしという非常にオープンな環境を余儀なくされたお陰か、みんな仲が良く。住人や友人で月一は手料理やつまみを持ち寄り飲み明かすという風習が出来上がっていました。

 

           実はこの時一番仲の良い友人Kと、きちんと自炊しながらどこまで食費を節約できるか、という勝負をしてたんですが(結果数えるほどしか勝てなかった)、今思えばそれが無駄な外食やコンビニ食を控える、限られた食材で日々の献立を考える、汎用性の高い食材の把握、味のポイントを決める調味料の研究など、主婦力につながる地盤を作ってくれたのかなと思います。今言わせて欲しい。K氏よありがとう…。

 

 

                           しかし、入学以来来る日も来る日も講義も聞かずに眠り続けた私はある日、己の精神と肉体が腐ってきている事に焦りを感じ、たまたま友人の勧めてくれた合気道部に入部し、そこからどっぷりと修行のような稽古の日々を過ごす事になりました(その代償に、講義中は更によく寝る子になりましたが、何とか無事に卒業は出来ました)。

 

                           卒業後はとりあえずその時の地元新倉敷の辺りの病院に勤め、程なく併設の介護老人保健施設(通所リハビリ)に異動。たしかその年度あたりで要介護(介護給付)要支援(予防給付)とにサービスが区切られ、スタッフも利用者さんもワサワサなったのを覚えています(汗)

 

                            そして、仲の良い先輩を通じて知り合ったグループホームの管理者のIさん(この方が私にとっては福祉の恩師と言える存在です)と知り合い、そこから東京への転勤を前提にそちらのグループにお世話になる運びとなり、その半年後には東京へと上京する事に。ここのグループは当時認知症ケアの第一人者とも言える有名なドクターの法人で(何度かNHK等の番組にも取り上げられてました)、新人研修のみならず、実際のケアもかなり実践的でスタッフの熱意もあり、今振り返ってもなかなかあそこまでベクトルの整った法人もなかったかなと思います。

 

            そこから東京都港区に大規模施設の立ち上げの準備に同行させてもらい、自分は主に地域との交流に関する事や新卒のリクルートに係る業務を分担で立ち回らせて頂けました。もともと自分が、地域交流や地域コーディネートなど地域づくりの分野に強い興味を引かれていた事を上司が分かって下さっていた故の采配だったと解釈しています。あの頃の自分の経験や力量を考えると、明らかに力不足だったはずです。それを押してでも自分に責任の一端を任せてもらえた事で、必死に地域からの信頼と人材を獲得することに没頭しました。

 

            施設が立ち上がってからは現場に入る傍らで、引き続き地域との窓口を任せてもらえました。町内会とのやりとり、ボランティアのコーディネート、地域交流に係る調整等を行い、認知症の理解だけでなく地域の繋がり、社会資源の活用法など、地域の人々が繋がるための多くの知恵と手段を学びました。この一連の経験が今の自分の社会生活を築いていく基盤となっています。

 

            そして立ち上げから約2年と半年後、学生時代から力を借りることの多かった友人T氏より、今度は四国は香川県にて一から施設を建てるのに一緒に来てもらいたいとお誘いを受ける事に。大げさではなく、血ヘドを吐き神経がブチ切れるような苦難も供にした親友の誘いを蹴る選択肢はなく、今度は単身香川県へと乗り込む事に。   →つづく

 

思ったよりもだらだらと長くなってしまったので、続きは次回に分けて書いていこうと思います^_^; 良ければもう少し私の人生歴にお付き合いください!