介護施設って何があるの?種類が多くて分からず悩まれている方へ!~入居施設編~

そもそも介護施設って?

介護保険が作られて以降、介護に関わるサービスや制度は多岐に渡って変わり続けています。核家族化や少子化に加え、インターネットなどによる情報の透明化により、今まで家庭内で閉じられがちだった介護の実情が浮き彫りとなりました。

 

現在ひと口に介護サービスといっても非常に幅が広く、介護保険で使えるサービス、障害区分によるサービス、各地方の自治体独自に行っているサービス、地域の有志でボランティア的に行っているサービスなどなど。実は専門の職種の方でも把握するのは困難な程に福祉のサービスは広がっています。そのサービスを提供する施設をひっくるめて「介護施設」と表現しますが、多くの方はどちらかというと「入居施設」をイメージされたりするのではと思います。

 

でも、幅広く便利になった反面複雑になりすぎた事で、いざ必要な状況となった時に、「そう言えばいろんなサービス聞くけど、何がどうなのか分からない!」となってしまうケースが非常に多いのも実情だと思います。そしてケアマネ(相談員)さんに勧められるままにとりあえずデイサービスを使っとけば…なんて事も少なくなく、実際今使えるサービスは何があって、何を使うとどうなるのか、本音では疑問を感じていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか?

 

数あるサービスの中でまず今回はずばり、「入居施設にはどんな施設があるの?」という部分をピックアップし、出来るだけ分かりやすく書いていこうと思います。いずれその他の通所の施設なども詳しく解説していくつもりですので、以降の記事もご覧頂けると嬉しいです。

 

<入居施設の種類> 

まず大きく分けて、保険で入れる施設保険では入れない施設の二つに分かれます。これは入居施設だけでなく全てのサービスに言える事ですね。

 

前者で代表的なのは特別養護老人ホーム介護老人保健施設グループホームなどで、介護や福祉に興味はなくても何となく耳にされた事があるのではないでしょうか?以下代表的な入居施設の特徴を、①費用(1割負担として計算)、②日常の介護サービスがついているかどうか、③看護師対応の有無、④医師の対応が可能か、⑤看取りはできるのか、⑥その他の条件等、に分けてまとめていきます。

※費用は介護保険負担割合が1割として概算しており、自費分(食費や家賃等)は各施設で違いますのであくまで参考程度と思ってください。

介護保険での利用の場合は原則65歳以上の高齢者(特定疾患などにより一部例外あり)

が対象となります。

 

1)特別養護老人ホーム

介護施設」「入居施設」と聞いて真っ先に思い浮かべられる事が一番多いのがこちらではないでしょうか?特養と略されますが、おそらくこれが皆さんの一般的なイメージに一番近い入居施設だと思います。

①費用…月10万~13万程度(各自治体によります)

②介護サービス…24時間あり

③看護師の対応…看護師常駐(日中のみのところが多い)

④医師の対応…必要に応じて医師の往診あり

⑤看取り…できるが、医療的なフォローが必要な場合はできないこともある

⑥備考…要介護度3以上でなければ新規の入居は不可

 

まず何より入居申し込み者が多く、入居できるのが何年後になるかも分からないという点に注意です。また、厳密には広域型(市民以外でも入れる)と地域密着型(市民でないと入れない)に分かれたりなどで費用や対応の範囲も変わってきますし、医療的にどこまで対応できるかについては意外にもそれ程重度まで対応できる所は多くなかったりします。特に吸痰が必要であったり、インスリの管理や人工透析を受けている場合などは、看護師の配置によって受け入れの判定がまちまちです。正確な情報は見学相談の際にしっかりと確認すると良いと思います。

 

2)介護老人保健施設

老健と略されますが、この施設は入居施設ではあるものの、「在宅生活に戻るのに必要なリハビリを行うため一時的に入居を行い、心身に必要なケアを受ける施設」という事になっており、特養などとは違いずっと入居できるわけではありません。また、こちらの施設はデイサービス(正確にはデイケアと言いますが)が併設してあり、退去後も必要があればデイケアにてリハビリ活動を受ける事が出来ます。

①費用…月11万~13万程度(各自治体によります)

②介護サービス…24時間あり

③看護師の対応…看護師常駐(日中のみのところが多い)

④医師の対応…原則常勤(夜間は必要に応じての対応になる)

⑤看取り…できない

⑥備考…要介護度1以上でなければ入居できない。また、医師から在宅復帰するにあたって老健でのリハビリが必要であるとの診断を受ける必要がある。

 

ちなみに、老健の最大の特徴は医療的フォロー体制が充実しているところです。特養と比較しても、看護師や医師の配置が厚く、リハビリ専門のスタッフが配置されているため「在宅での生活が出来るようにしっかりリハビリをしておきましょう!」という意図が明確に分かります。

 

3)グループホーム

正式名称を認知症対応型共同生活介護といいます。何のことやら余計に分からなくなりそうな名称ですね。一言に要約すると、「認知症によって在宅での生活が困難になった方が、専門のスタッフの支援を受けながら少人数のグループで生活する施設」という感じになります。

①費用…月11万~15万円程度(入居一時金や敷金などは施設による)

②介護サービス…24時間あり

③看護師の対応…基本的に看護師はいない

④医師の対応…なし(往診を委託しているところもある)

⑤看取り…積極的に行うところが多いが、原則医療行為はできない

⑥備考…地域密着型の施設なので、原則住所のある市町村の施設しか入居できない(住所地特例などの例外はある)

 

特色としては、小規模ゆえに無駄なバタつきや刺激が少なく、スタッフの人数も手厚めであるため、大規模施設と比べるとゆったりと落ち着いた雰囲気であることが多いという点。そして、認知症ケアを学んだスタッフが管理者を務めるため、認知症状への理解を得やすいという点です。また、部屋代などの自費の項目に差があるためか、私が回らせてもらった数か所だけでも月額13万~20万弱と、かなり金額に差がありました。実際に検討されている方は見学の際に正確な見積もりをご確認頂いた方が安心だと思います。

 

4)有料老人ホーム

最後は割と名前だけはよく聞く(?)有料老人ホームです。正直「どんな環境でどんなサービスをしてくれてどれだけお金がかかるんだろう?」と多くの方は思われているのではないでしょうか?それもそのはず、有料老人ホームは各施設によって内容が全く違うため、一部では介護までやってくれて、一部では車いすになったら退去させられて、また一部では入居金に一千万円かかった、など等様々な体験談が飛び交う訳です。下記には大まかな区別だけ記載しますので、参考程度にでもなれば嬉しいです。

Ⅰ)住宅型有料老人ホーム

①費用…10万~15万程度(入居一時金、敷金などは施設による)

②介護サービス…なし(必要時には別途介護オプション利用するか、外部の介護サービスと契約が必要)

③看護師の対応…基本的にはなし(施設により看護師在中を売りにしているところもある)

④医師の対応…基本的にはなし(提携医が往診を引き受けている場合が多い)

⑤看取り…殆どの場合は対応していない

⑥備考…あくまで高齢者アパートとして部屋を借りるイメージのため、入居時に自立に近い方しか入居できない事も多い。多くの場合介護オプションが設定されていたり、訪問介護(ヘルパー)と契約して別途介護サービスのプランを立てて対応する事になる。また、一定以上要介護度が重くなると退去せねばならなくなるため、認知症状が激しくなってきた場合などにも転居先を再考せねばならない事があります。ちなみに、上記の費用はあくまで介護サービス抜きの金額のため、もろもろ諸経費を入れるとあっという間に20万を超えてしまっているというケースも耳にしますので、「いずれこういう状態になった時にはどれくらいするんだろう」というシュミレーションで参考費用を提示してもらっておく方が安心かも知れません。

 

Ⅱ)介護付有料老人ホーム(特定施設)

①費用…15万~25万程度(入居一時金敷金などは施設による)

②介護サービス…あり

③看護師の対応…日中のみ配置しているところが多い

④医師の対応…基本的にはなし(提携医が往診を引き受けている場合が多い)

⑤看取り…対応しているところもある

⑥備考…24時間基本的な介護サービスがついているため、特養などと同じように生活すべてをサポートしてもらう事ができる。しかし、デメリットとして外部の介護サービス(デイサービス訪問介護など)を利用したくても出来なくなります。

 

上記の通り、「有料老人ホーム」の看板を見ただけでは区別がつかない事も多いため、事前の問い合わせの際に確認をしておいた方が良いでしょう。特養などと比べると高額になる傾向が強いですが、その分独自のサービスや価値(ロケーション、立地、温泉がある、ジム完備、シアター付、時期のイベント等)を自由に加えている施設が多いです。しかし、一時期問題に取り上げられていた入居一時金や敷金の返金に関する事項には、くれぐれも文書で確認をとっておいた方がトラブルを避けられると思われます。

 

以上入居施設をいくつかピックアップして大まかな概要をまとめました。あくまでごく一般的な内容でまとめていますので、すべての施設が当てはまる訳ではありません。もし身の回りに実際にそこで働いでいる方や入居している方のお話を聞ける機会があれば何よりも信用できるかなと思います(笑)他の施設についてはいつか機会があれば個別に記事にするかも知れません。今回も大変長くなってしまいましたが、「よく聞くけれど名前を聞いても全然区別がつかない」というお悩みに、少しでも参考にして頂ければ幸いです!ではでは~

―主夫ログのはじまり―その3

 

 

 

○はじめに(後編)

 

◎前回までのあらすじ

様々な介護事業所で学びながら各地を転々とする30代のおっさん。子供が生まれたことを転機として、今後は性懲りもなく神戸へと流れていくのでした。

 

さて、次なるテリトリーは神戸市北区。ほとんど隣の三田市(さんだし)との境にあるアパートで、一人黙々と荷解きを行う男。早々に貴重な休日をつぶしてお義父さんが援助に駆けつけて下さったのは本当に有り難かったです(^ ^)そして片付けきらぬ間に、いよいよ嫁と娘との初の共同生活が幕を開けました。

 

この時2014年12月。真冬の北区はビックリする程寒く、真冬はスタッドレスと水道凍結への対策は必須。そんな中、何もかもが初めての環境で、初めての子育てに悪戦苦闘。…と思っていたんですが、よくよく考えれば今ままで仕事でやってきた事とそれほど変わらず。今の状態に合わせて食事形態を調整し、リズムやサインから排泄を確認処理し、お風呂に入れて寝かしつける。夜に覚醒すれば眠れる状態に整え、朝になれば起床の準備をする。…正直ゴリゴリの介護施設で寝泊まりし続けてきた耐性のお陰か。非常に角の立つ表現にはなりますが、あえて言おう。「ジジババよりはるかに楽である」と。

 

まず何よりもコンパクト。すべてにおいて手中に収まるんじゃないかと思えるミニマムな所作。あの腰を痛め、汗を垂れ流し、全力で抵抗や暴言を受けながらも必死に世話をしていた重労働の日々…(T▽T)否が応にもそれと比較し、思いのほか子育てに拒否反応を感じられなかったことが自分の中でかなり意外で驚いたのを覚えています。

 

そして、もしかすると共感して頂ける方もいらっしゃるかもしれませんが。あの最初にわが子を目にした時の複雑な感情。嬉しいけれど、目の前の我が子に対し「愛しさ」を実感できない事への戸惑いが、オシメを換える度に、こっちを見て何かを呟く度に、夜泣きでミルクを飲ませて膝の上で寝かしつける度に、にじみ出るように愛情が湧き上がるのを実感することが本当に嬉しかった。「子どもを育てながら、親も子どもに育ててもらっている」との言い伝えは本当だったと実感した次第です。自分でも本当に不思議だったのですが、この夜泣きの期間新たな能力に目覚めたことも思わぬ収穫でした。一つ目は「寝ていても子どものいる場所が常に分かる能力」。夜泣きの時に真っ先に目覚めて対応していたのですが、いつの頃からか夜中に目覚めると私の布団の中に潜り込んでくるようになっていた娘。その際、寝かしつけて寝落ちする時も、途中から入り込んできた時にも、寝ながらにして子どものいる場所だけは感覚で分かるようになり、間違っても寝返りで子どもを潰す、なんて事は絶対にありませんでした。…まぁそれだけ眠りが浅くなっていたのでしょうね(^^;)二つ目は「睡眠中子どもが寄ってくるとオートで布団を開けて寝かしつける能力」です。…これって能力なのか?まぁいっか。正確に言えば、このせいで娘でなくても布団の中に誘い込む癖がついてしまったようで嫁に怒られた事がありました。

 

そんなこんなで子育てに奮闘しつつ、神戸で選んだ職場はリハビリ専門のデイサービスでした。これもいつか一つのカテゴリーで記事にできればと思いますが、このデイサービスでの経験が自分の在宅での生活を支えるに必要な知識やスキル、そして介護観そのものをさらに昇華させてくれました。人が少しでも長く在宅生活を自分らしく生きていくためには?サービスを使う事だけではなく、リハビリに通うだけではなく、人が自ら動く活力を取り戻すためには?多くのことを学ばせて頂きました。ちなみにこの時入社半年で一事業所の所長を任せてもらえ、さらにその半年後には関西の三事業所を統括するエリアマネージャーに押し上げられることになりました。実は経営の細かな数字まで管理したのはこれが初めて。正直吐き気を感じる程疲れがたまっていた時もありましたが、事業を行う中で目標の達成を繰り返しながら成長させていくマネジメント力をこの時身に着ける事が出来ました。今思えば自身に欠けた能力を補完する試練だったのかも知れません。

 

そしてようやく最後の転居の時がやってきました。私の母はこの時から遡ること5、6年前に脳内出血を起こしてしまい車いすの半介護状態になっていました。それを実家に同居していた兄と妹が見てくれていたのですが、事情によりそれが困難になっていたため、兄弟で唯一各地を転々と好きにさせてもらっていた私が帰って世話をすることになったのです。妻には何とか承諾してもらい、およそ18年ぶりに郷に戻り居を構えることとなり現在に至ります。

 

転居にあたり一つ交換条件のような形で妻が提案したのが、「家庭内での役割を交代すること」。妻は正看でバリバリ経験を重ねていたこともあり、実際のところ私が一から職を探すよりも安定した所得を得ることが出来、親の介護の傍らということであるならば、私が家の事を主にやった方が何かと円滑に事が運ぶだろうとの判断。はい、まさにその通りになりました(^_^;)

 

大変長くなり恐縮ですが、このような経緯をもちまして、主夫しーま誕生した次第なのです。今では娘もようやく少しずつ自分の事を自分でやってくれることが増え、少しずつ時間にゆとりが出来てきたため、以前からやってみたいと思っていたブログに挑戦する事に致しました。このようなとりとめのない記事にはなりますが、少しずつ子育てや介護、その他生活に役立つ情報を発信していくつもりなので、ぜひお楽しみいただけると幸いです!どうぞ宜しくお願い致します!!

―主夫ログのはじまり―その2

 

 

○はじめに ~中編~

はじめの自己紹介が長引いてます(汗)ですが、もうしばしお付き合い下さいませm(__;)m

 

では早速まいります!

 

 

◎前回のあらすじ

グダグダなりに所帯臭い学生生活を終えた私は、徐々に福祉の道を学びながら各地を転々とするのでした。

 

さて、香川県高松市に移ることとなった私は、開設の準備を行う傍らで友人T氏の親父さん(今回の法人の院長)が懇意にされている法人さんも施設を開設されるとの事で、一時出向という形でお手伝いに入らせて頂く運びに。そちらの施設は複合型の施設で、デイサービスショートステイが併設となっており、スタッフが密に連携の取りやすく利用者も使い分けがしやすい仕組みとなっていました。そちらには約半年程お世話になり、いよいよ友人T氏との施設開設へ!

 

施設の種類としては有料老人ホーム(またいずれ分かりにくい介護施設の種類やその特徴を分かりやすく解説したいと思いますが)となり、内部にデイサービス訪問介護居宅介護支援事業所(ケアマネ事業所)を併設している形になります。経験者の方にはお分かり頂けると思いますが、主に入居者の生活を支えるのに必要なサービスを内部に揃え、効率的かつ包括的にバックアップするためのスタイルです。入居の判定は「重度・緊急・困難」を軸に、ほぼ寝たきりで医療のフォロー体制がなければ見れない方が中心で、7割が経管栄養の方でした。外部から見るだけの方からは「抱え込み」などと良くない表現をされることもありますが、これは無知あるいは体裁や上辺の公正さを盾にする自称「厳粛な福祉人」の思い込みです。確かにその「抱え込み」が周囲との情報を遮断し、利用者への不利益や不正に繋げるケースが見られていたのも事実。しかし、本来この形式は支援者間の情報共有や連携を確実なものにし、介護保険上のサービス外でも必要な対応がスムーズに行えるだけでなく、利用者も馴染みの関係性から気兼ねのない家庭的な環境を獲得しやすくなる等の大きなメリットがあります。むしろ、介護保険は24時間の生活を十分支えられるほど完成された制度ではないんです。この辺もいつか機会があれば福祉のモデルと合わせて現状と比較するような記事を書ければと思います。

 

話が大きくなりましたが、結果としてこの施設は院長が24時間の全面バックアップをして下さったおかげもあり半年で満床。常に待機者が席を待たれている状態となり、当施設の特徴を周囲にご理解頂けるようになりました。特に医療関係の方にご周知頂けたのは大きかったですね。困難な状態の方ばかりだったものの、看取りの最後の瞬間までしっかりとケアを行うことができました。しかし、香川に移り住んでから突然付き合うことになり一緒に住むことになった当時の彼女(現嫁)に、朝な夕な施設に入り浸る私の生活が心配だと説き伏せられ、結婚→出産のタイミングで奥さんの郷の神戸へと移り住む事となりました。四国に移り丸3年で、次は関西に旅立つ事となった私の放浪癖。奥さん曰く「今度こそ定住しようね」との事…。うん、毎回永住する心づもりでやってはいるんですけどね。

 

さて、神戸へ移る1か月前より出産準備のために里帰りしていた奥さん。新居での同居は子供が生まれてから約1か月後からの予定だったため、出産予定日にとりあえず休みを取っておく。と、なんとまさに予定日の夜中3時に電話が鳴り、身支度を整え明石大橋をブッ飛ばして病院へと駆けつけました。初めての子のお産に立ち会わなかった旦那への恨み言は今までの職場でも奥様方からよくよく耳にしていたので、自分こそはそうなるまい!日の出と共に海を渡り、病院に到着したのは朝8時前。病室前には笑顔のお義父さんが。「嫁子は…?」と尋ねると、「あぁ大丈夫。今生まれたみたいやから(笑)」

 

…え?

 

あーそういや元気な赤子の鳴き声が廊下にまで響き渡っていますねぇ。そこに看護師さん。

 

「あ、今来られたんですか??もう生まれちゃいましたよ!早く入って!」

 

ちゃいましたよって言われても…。すごすごと分娩台へと向かうと、取り上げられた赤ん坊と笑顔のお義母さん、そして見たこともないくらい汗だくで、目の隈と顔色の悪さが際立った嫁がそこにおりました。

 

「ハァ…いま来たん…?…ふう…」

 

ため息とも息切れともつかない声を振り絞り一言。しかしやはり、何を言ってよいのか頭は真っ白に。「お疲れさん」とでも言ったのかな?すぐに赤ん坊へと促され初めて見る新生児の姿。その時心底思いました。

 

「ほんっと猿みてーなんやな―…。」

 

 正直に書いておくと、元来子供嫌いな私はあらかじめ嫁に「子育ては協力できる自信はない」と明言していたほどのヘタレでしたOTLそしてやはりというか、わが子を見ても愛情が沸き起こる感覚も薄く、内心「あー、やっぱ男ってこんなもんなんかなー。自分大丈夫かいな…」とか自問自答していたのは嫁には内緒です。ちなみにお産に3分間に合わなかった事は今でも笑いのタネにされているのでまぁ良しとしておきます。

 

さて、そんなこんなで度重なる引っ越しにより荷造りと荷解きの段取りが非常によくなった事は収穫でした。一人でせっせと引っ越しの段取りを行い、いざ神戸の地へ!

 

→まさかの次回へ続く!(今度こそ最後ですっ)

 

 

―主夫ログのはじまり―その1

○はじめに

 

はじめまして。私の記事に興味を持っていただいた皆様に、まずはご挨拶と感謝を申し上げます。私のブログは自称「主夫ログ」と題して、主夫の立場から見た生活全般に係るお役立ち情報や健康に関する記事を書いたり、今までの福祉に関わる長い経験と知識をお伝えしていく事で、家庭のお悩みや負担を少しでも軽くし、楽しめる何かを一緒に見つけていく材料になればと思っております。では早速ですが、今回は自己紹介を中心に書かせて頂きます。

 ニックネーム  シーマ

年齢        38歳(♂)

出身        福岡県

バイリンガル      博多弁と関西弁のハイブリット

 

職業歴        16年間幅広く福祉の業務に携わる→現在は兼業主夫。こまかな経験は関連した記事を書きながらお話ししたいと思います!

 

得意料理      煮込み料理 パスタ 鶏ハム(いつかレシピ記事を書きたいです)

 

生い立ち      以下、まずは私という人物を知っていただければと思いますので、長文になるかもですがこれまでの人生歴等を思い出しながら書いてみます。良ければお付き合いください!

                           

                          生まれは福岡県。何も考えずに幼少期を過ごしたためなのか、こまかな思い出はあまり記憶に残っておらず(笑)とにかく小さな頃からじぃちゃん子だった事はしっかり覚えています。そのじいちゃんが脳梗塞で倒れて以降、いつの間にか流れでトイレの手伝い等を普通にするようになっていました。中学生の時にじぃちゃんは亡くなりましたが、その時には「自分は大人になったらこういう仕事に就くんだ」と思うようになっていました。

         

                          その思いは変わらず、高校を卒業した私は岡山県備中高梁の山中にある吉備国際大学に進学(世間をにぎわせていたあの加計学園系列ですねぇ)。努力の甲斐もあって、第二志望の保健福祉学科(今はもうありません)に入り、そこで現在の付き合いへと続く貴重な学友と多く出会いました。この期間いかにも学生、という感じのバカな事をやらかしまくったのは良い思い出です。特に住んでいた部屋が居室以外全て共同な上エアコンすら廊下に一つしかないというベッタベタの昭和の学生アパートだったのはある意味最高の環境でした(笑)空調がないものだから一年の半分以上は各部屋のドアが開きっぱなしという非常にオープンな環境を余儀なくされたお陰か、みんな仲が良く。住人や友人で月一は手料理やつまみを持ち寄り飲み明かすという風習が出来上がっていました。

 

           実はこの時一番仲の良い友人Kと、きちんと自炊しながらどこまで食費を節約できるか、という勝負をしてたんですが(結果数えるほどしか勝てなかった)、今思えばそれが無駄な外食やコンビニ食を控える、限られた食材で日々の献立を考える、汎用性の高い食材の把握、味のポイントを決める調味料の研究など、主婦力につながる地盤を作ってくれたのかなと思います。今言わせて欲しい。K氏よありがとう…。

 

 

                           しかし、入学以来来る日も来る日も講義も聞かずに眠り続けた私はある日、己の精神と肉体が腐ってきている事に焦りを感じ、たまたま友人の勧めてくれた合気道部に入部し、そこからどっぷりと修行のような稽古の日々を過ごす事になりました(その代償に、講義中は更によく寝る子になりましたが、何とか無事に卒業は出来ました)。

 

                           卒業後はとりあえずその時の地元新倉敷の辺りの病院に勤め、程なく併設の介護老人保健施設(通所リハビリ)に異動。たしかその年度あたりで要介護(介護給付)要支援(予防給付)とにサービスが区切られ、スタッフも利用者さんもワサワサなったのを覚えています(汗)

 

                            そして、仲の良い先輩を通じて知り合ったグループホームの管理者のIさん(この方が私にとっては福祉の恩師と言える存在です)と知り合い、そこから東京への転勤を前提にそちらのグループにお世話になる運びとなり、その半年後には東京へと上京する事に。ここのグループは当時認知症ケアの第一人者とも言える有名なドクターの法人で(何度かNHK等の番組にも取り上げられてました)、新人研修のみならず、実際のケアもかなり実践的でスタッフの熱意もあり、今振り返ってもなかなかあそこまでベクトルの整った法人もなかったかなと思います。

 

            そこから東京都港区に大規模施設の立ち上げの準備に同行させてもらい、自分は主に地域との交流に関する事や新卒のリクルートに係る業務を分担で立ち回らせて頂けました。もともと自分が、地域交流や地域コーディネートなど地域づくりの分野に強い興味を引かれていた事を上司が分かって下さっていた故の采配だったと解釈しています。あの頃の自分の経験や力量を考えると、明らかに力不足だったはずです。それを押してでも自分に責任の一端を任せてもらえた事で、必死に地域からの信頼と人材を獲得することに没頭しました。

 

            施設が立ち上がってからは現場に入る傍らで、引き続き地域との窓口を任せてもらえました。町内会とのやりとり、ボランティアのコーディネート、地域交流に係る調整等を行い、認知症の理解だけでなく地域の繋がり、社会資源の活用法など、地域の人々が繋がるための多くの知恵と手段を学びました。この一連の経験が今の自分の社会生活を築いていく基盤となっています。

 

            そして立ち上げから約2年と半年後、学生時代から力を借りることの多かった友人T氏より、今度は四国は香川県にて一から施設を建てるのに一緒に来てもらいたいとお誘いを受ける事に。大げさではなく、血ヘドを吐き神経がブチ切れるような苦難も供にした親友の誘いを蹴る選択肢はなく、今度は単身香川県へと乗り込む事に。   →つづく

 

思ったよりもだらだらと長くなってしまったので、続きは次回に分けて書いていこうと思います^_^; 良ければもう少し私の人生歴にお付き合いください!